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2009年04月26日

クレオパトラの墓に迫る?=「世紀の発見」に期待−エジプト

古代エジプトの女王クレオパトラ(紀元前69年―同30年)の埋葬地として有力視されている地中海沿岸の都市アレクサンドリア郊外で近く、同国とドミニカ共和国の合同チームが本格的な発掘作業を始める。エジプト考古最高評議会のザヒ・ハワス事務局長が時事通信のインタビューで語った。

 発掘チームは3月のレーダー調査で、プトレマイオス朝時代に建てられた神殿跡の地下約25メートル地点に複数の空間を発見した。同事務局長は、掘削機器を使って掘り進め、数週間中に結果を公表できるだろうと述べた。

 現場からは既にクレオパトラの彫像の頭部や、肖像をあしらったコイン22枚が見つかったほか、エジプト最大級とみられる集団墳墓も近くで発掘された。

 帝政ローマの著述家プルタルコスは、クレオパトラと、その恋人のローマ将軍アントニウスが一緒に埋葬されたと記している。ハワス事務局長は「この場所は2人が隠された場所としては完ぺきだ。21世紀で最も重要な発見になる可能性がある」と語った。  (4月26日時事通信)



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国内最古級の井戸 岡山・南方遺跡

 岡山市教委が、同市北区の岡山後楽館中学・高校体育館の建設予定地にある、弥生時代の集落跡の南方遺跡で進めている発掘調査で、集落の出入り口にあたる溝や国内で最古級の井戸などを確認し、25日、市民らに公開した。

 同遺跡は東西1キロ、南北800メートルで、東西2つの集落によって構成されたと考えられている。

 今回の調査は、東側集落跡など約2100平方メートルを対象に実施。溝は幅2・5メートル、深さ1メートルで内側には等間隔に並んだ直径20センチの柱穴跡や、柱穴跡が途切れた底部からは集落に入るための橋板の支柱跡が見つかった。

 一方、井戸は直径1・2メートル、深さ1メートルの素掘りで地下の湧水層に通じている。井戸からは弥生時代前期の壷(つぼ)型の土器が出土し、同期に井戸が存在したことをうかがわせる。

 市教委は「集落と外部を区切る溝や入り口、さらにその周辺から弥生時代前期の井戸が見つかり、当時の集落の実態を解明する貴重な手がかりになる」としている。

 この日の現地説明会には考古学ファンら約160人が訪れ、発掘調査の担当者らの説明を受けながら、盛んにメモをとったり、写真を撮ったりしていた。  (4月26日産経新聞)



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2009年04月16日

クレオパトラの墓、発見近い?=アレクサンドリアの古代神殿で発掘調査へ

 エジプト考古最高評議会は15日、古代エジプト・プトレマイオス朝の最後の女王クレオパトラとローマの軍人マルクス・アントニウスのカップルの埋葬場所の発見に一歩近づいたと発表した。同評議会のザヒ・ハワス事務局長とドミニカ共和国のエジプト学者を中心とする調査隊が、エジプトの地中海岸の都市アレクサンドリア西部のタップ・オリシス・マグナ神殿周辺の3カ所に埋葬されている可能性が強いと判断し、来週、これら3カ所の発掘を開始する。

 調査隊は過去3年間にわたって埋葬場所の調査を続けていた。同神殿のレーダースキャン調査によって、可能性のある3カ所が特定された。同神殿は、プトレマイオス朝時代にイシス神を祭るために建造された。

 ローマ時代の著述家プルタークの記述の中に、クレオパトラとアントニウスが一緒に埋葬されたという記録がある。調査隊はこれまでにミイラ10体(うち2体は金箔が施されていた)と27の墓を発見した。ミイラは身分の高い人のものと推定され、2人の埋葬場所が近くに存在する可能性があるという。調査隊はまた、クレオパトラやアレクサンダー大王の肖像が刻印された通貨やクレオパトラのアラバスター製の胸像を発見した。

 クレオパトラは2000年以上前にエジプトを支配し、カエサルが暗殺されるとローマの支配者の1人アントニウスと組んだが、戦いに敗れて2人とも自殺した。 (4月16日時事通信)






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奈良時代の課税台帳か 豆腐町遺跡で発見

 兵庫県姫路市埋蔵文化財センターは16日、JR姫路駅構内の豆腐町遺跡から、奈良時代の課税台帳とみられる紙が見つかったと発表した。紙に漆が付着していたため腐らずに現存したらしい。同様の紙の出土は県内で3例目。

 姫路駅周辺土地区画整理に伴い、同センターが昨年7月から11月末まで発掘調査を実施。奈良時代のものとみられる土器など45点が出土したほか、最大で縦14.6センチ、横14.5センチの漆が付着した紙が見つかった。

 紙は当時貴重だった漆を入れた箱のふたに使われていたとみられる。同センターが奈良県の奈良文化財研究所に分析を依頼したところ、赤外線カメラでの観察で紙の表裏に文字が書かれていたことが判明。識別できたのは表の53文字だけで、「黒麻呂」「大宅女」など6人の名前と年齢が書かれ、その下に大宝令制で年齢区分を示す「少子」などの文字が確認された。

 「17歳」の「黒麻呂」の区分が「少子」と表記され、「続日本紀」で少子が4〜17歳となったのが天平勝宝9(757)年以降と記されていることから、紙の内容は奈良時代後期の課税台帳と推定。漆がついた紙の出土から同遺跡に漆工房の存在が浮き彫りになり、同センターは「漆工房は官営で、近くに播磨国府といった役所があったことが推定できる貴重な史料」としている。 (4月16日産経新聞)




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2009年04月15日

奈良大:遊牧国家の実像に迫る モンゴルの城郭都市遺跡、初の調査へ

 奈良大(奈良市山陵町)は今年夏ごろから、モンゴル中部の城郭都市遺跡、チントルゴイ・バルガスの調査に乗り出す。創立40周年の記念事業で、同大学としてモンゴルの遺跡を調査するのは初めて。09年度から3年間のプロジェクトで、龍谷大や東京大などの研究者も参画する。11〜12世紀ごろに栄えた遼国(契丹国)の拠点都市だった遺跡で、謎の多い遊牧国家の実像に迫る成果が期待できそうだ。

 チントルゴイ・バルガスは当時、周囲に広大な湖が広がり、多くの木が茂っていたと推測されているが、現在は木1本もないという。建築や燃料のために木が伐採されて環境が変化し、最終的に都市が廃絶した可能性もある。

 調査団は、09年度に土器を中心に生産構造を調査。10、11年度は城郭構造解明のため、発掘調査を予定している。団長を務める同大学の千田嘉博教授(中世考古学)は「この城郭の構造を知ることで、東アジアにおける平城京や平安京の位置づけを比較して考えることができる。また、人間の活動と自然環境のかかわりについても提言できるような成果が出せるのではないか」と話す。 (4月15日毎日新聞)





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2009年04月14日

奈良女子大:興福寺所蔵の国宝「日本霊異記」、詳細画像をネットで公開 /奈良

 奈良女子大学(奈良市)が、興福寺所蔵の国宝「日本霊異記(りょういき)」(上巻)の詳細な画像を、インターネット上で公開し始めた。これまでは、昭和初期に刊行された写真集でしか画像を見ることができないうえ、その写真集も入手困難なため、研究が不自由な状態だった。寺側の協力により同大学が昨年、デジタルカメラで原本を撮影。日本の古代文学研究に役立つと期待されている。

 ◇寺の協力で原本撮影
 同大学では約15年前から、県内の寺社などの協力で、絵画や古典籍の画像をネット上で公開する取り組みを続けてきた。これまでに100点以上を紹介したが、国宝は初めて。
 日本霊異記は、9世紀初めに僧の景戒が漢文で著した日本最古の仏教説話集。上中下3巻で、良いことをしたら良い報いがあり、悪いことをしたら悪い報いがあると説く。興福寺本(縦約30センチ、横約870センチ)は上巻のみの巻物で、1922年に東金堂で発見された。「延喜4(904)年」と記されており、現存最古の写本とされる。

 現在も、この本を基礎にした書物などを使って研究が続けられてきたが、研究者によって書き下し方が違うため、現物を詳細に見ることが必要とされていた。

 昨春、同大学がネットでの公開を要請したところ、寺が快諾。秋に高精細のデジタルカメラで撮影した。ネット上では、全体を150%まで拡大して細部を見ることができる。巻物の裏に書かれた「衆経要集金蔵論」も撮影して読めるようにした。

 担当した同大学の千本英史教授(中世国文学)は「原本を直接研究することで、新しい発見が期待できる。海外からでも簡単に見られるので、世界の研究者にも情報提供できることは大変貴重」と話している。ホームページ(http://mahoroba.lib.nara‐wu.ac.jp/y14/)。 (4月14日毎日新聞)





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2009年04月09日

中宮寺跡:発掘調査 金堂跡から柱の根石、創建時からの踏襲裏付け−−斑鳩 /奈良

 斑鳩町教委は7日、聖徳太子ゆかりの中宮寺跡(斑鳩町法隆寺東2、国史跡)の発掘調査で、金堂跡から創建当初のものとみられる柱の根石が見つかったと発表した。町教委によると、再建を経ても柱の位置が踏襲されたことを示しており、飛鳥時代の建築を考える上で貴重な資料という。

 中宮寺は7世紀前半の建立とされ、室町時代ごろに約500メートル西の現在地に移った。金堂跡は1963年と84年に発掘調査が行われ、後世に再建・改修されていたことが分かっている。町教委はさらに詳細な基礎資料を得るため、昨年8月から270平方メートルを発掘調査していた。

 基壇の土は、創建時に粘土と砂の層を交互につき固めた版築(はんちく)で作られている。今回確認した18の柱跡は版築を上から掘り込む再建時の穴だったが、東南付近の穴から版築を作る途中で据え付けられたとみられる根石が一つ見つかった。以前の調査でも創建時から柱の位置が変わっていないとされていたが、それを補強する結果という。
 また、別の柱穴からは、焼けた凝灰岩の根石も見つかった。創建時の基壇から転用したとみられ、当初の金堂が火災で焼けた可能性が高まった。

 調査を担当した荒木浩司・同町教委技師は「基壇の規模や変遷についても詳細な情報が得られた。今後の整備のための参考になる」と述べた。

 史跡中宮寺跡整備検討委員長の大脇潔・近畿大教授(考古学)は「飛鳥時代前半の金堂で当初の柱の位置が分かる場所は少なく、残存状態の良い中宮寺跡の価値が改めて確認された」としている。 (4月9日毎日新聞)




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正光寺山古墳群:副葬品の須恵器で特定、6世紀半ば築造 予想より数十年早く /愛媛

 新居浜市教委は8日、同市坂井町2の正光寺山古墳群が6世紀半ばに築造された可能性が高い、との発掘調査内容を中間報告した。これまでは6世紀後半の築造と予想されていたが、数十年さかのぼることになる。

 同古墳群は1951年に愛媛大の松岡文一教授(当時)らが1、2号墳を調査。主に石室内を調査し、副葬品の須恵器から築造年代を6世紀後半と予想。規模は直径約15メートルの円墳2基と推定していた。

 今回の調査は市の土地区画整理事業に伴うもので今年1月から実施。6世紀半ばの特徴を持つ須恵器が、1、2号墳からそれぞれ見つかり、築造年代を特定した。

 調査が途中のため、古墳の規模は、確定していないが、1、2号墳共に、前回の調査より、1〜2メートル大きくなるという。被葬者は当時の新居浜平野を治めていた首長とみられる。古墳群は調査終了後、古墳を生かした公園として、来年度中に整備される。 (4月9日毎日新聞)






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2009年04月02日

古代エジプトの美人王妃の胸像に「整形」の痕跡

ベルリンの博物館に所蔵されている約3300年前に作られた古代エジプトの美女、ネフェルティティ王妃の胸像の顔の下にもう一つの顔があることがCTスキャンの結果、判明した。

 CTスキャンで明らかになった「第2の顔」は、同王妃が決して完全無欠でなかったことを示している。内部の石灰岩に彫られた顔は、化粧しっくいが塗られた表面の完璧な顔に比べて、まぶたの彫りが浅く、口元とほおにしわが見られ、ほお骨もやや低く、鼻りょうに小さなこぶがあった。

 CTスキャンチームの中心となったベルリンのイメージ科学研究所のフッペルツ氏は、これは胸像が何段階かにわたって作られたことを示しており、制作者が「整形」を施したのは、当時の理想的な美人に近づけるためだったとみられると語っている。 (4月2日時事通信)






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「快慶」作と分からず 長野・善光寺仏像の調査結果

 長野市の善光寺は、所蔵する阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)が鎌倉時代の代表的仏師、快慶の作品であるかどうかの調査結果を発表した。

 依頼を受け昨年11月末から調査をしていた籔内佐斗司東京芸大教授によると、現存する快慶作品のほとんどに足裏部分や像内に「快慶銘」があるが、本像には確認できず、現時点では快慶の作品と断定できないとしている。

 ただ、快慶の第2期時代の作品に酷似していることなどから、快慶かその周辺の作品であることには間違いないとしている。

 今回の修復過程で像内から1枚の紙(縦約60センチ、横約30センチ)が発見され、「定快」との文字が書かれていたが仏師の名前でなく、造立にかかわった僧侶の名前でないかとしている。

 今後、本像は御開帳期間中は特別展示され、その後約1年をかけ再び修復と検証するとしている。 (4月2日産経新聞)







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