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2011年07月31日

匹見町山崎遺跡:竪穴住居から「土器埋設炉」 

 益田市教委が発掘している縄文時代の集落跡「匹見町山崎遺跡」(益田市匹見町澄川)で、約4000〜3000年前の縄文後期の竪穴住居2棟が見つかり、うち1棟の中心部から縄文式土器を地面に埋め込んだ「土器埋設炉」が県内で初めて出土した。市教委文化財課は31日午前10時半、現地説明会を開催。出土した状態の炉を見学できる。

 同課によると、山崎遺跡は匹見川と能登川合流点の河岸段丘上の集落跡。一帯では約8000年以上前の縄文早期〜後期の土器や石器など約5万点が見つかった。約4000平方メートルの平地に縄文後期の約1000年間、断続的に集落が営まれていた。

 住居跡の一つは直径約3メートルの円形。土器の上部を切り取って埋めた直径約30センチの埋設炉があった。煮炊きや暖房に使ったとみられる。山陰地方では鳥取県の智頭枕田遺跡で土器を完形のまま埋めた埋設炉が見つかっているが、県内では出土例がなかった。もう1棟は約5メートル四方で、石を周囲に立てて作った「石囲い炉」があった。

 一般的な縄文時代の遺跡と比べて漁網のおもりが多量に見つかっており、同課は「豊かな川魚を主な食料としていたのでは」とみている。(7月31日毎日新聞)






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恭仁京の貴族邸宅か、荷札木簡出土 上狛北遺跡

 奈良時代に一時都が置かれた恭仁(くに)京の推定地内にある京都府木津川市の上狛北(かみこまきた)遺跡で、都の貴族に送る米に付ける荷札木簡や地方役人の役職が記された木簡が見つかり、府埋蔵文化財調査研究センター(同府向日市)が27日、発表した。恭仁京で貴族の邸宅があったことを裏付ける資料として注目される。

 荷札木簡は長さ15.8センチ。「海戸主海八目戸服部姉虫女米五斗」の15文字が書かれ、戸主が海八目(あまはちめ)という大家族の「服部姉虫女(はっとりあねむしめ)」という名前の女性が、米5斗(と)(当時の30〜35キロ)を送るとの内容。国、郡名はなく、役所で使われた正式な木簡ではないとみられるが、米俵に刺して恭仁京に住む貴族の邸宅に送ったらしい。

 役職名のある木簡は長さ19センチで、香川県坂出市付近の地名「讃岐國鵜足(うたり)郡」と、当時の郡役所ナンバー2の役職である「少領(しょうりょう)」が墨書されていた。

 恭仁京は聖武天皇が造営し、天平12(740)年から16年まで都が置かれた。天皇が住んだ内裏など「宮(きゅう)」の部分の遺構は調査で確認されている。貴族らが住む「京域」が造営されたかどうかは不明だったが、今年1月の発掘調査で京施設と推定される溝・建物跡が出土。木簡は溝近くの穴から恭仁京期の土器などと一緒に見つかった。

 木簡は8月20、21日に向日市文化資料館で公開される。(7月28日産経新聞)




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2011年07月04日

寛永通宝、バリ島の遺跡に…最南端での出土記録

 「寛永通宝(かんえいつうほう)」など江戸時代の銅銭が、インドネシアのバリ島で出土していたことが分かった。

 寛永通宝は当時、海外でも通貨や装飾品として流通し、北はアラスカから、南はベトナムまでアジアを中心に多数見つかっているが、バリ島は最南端となる。三宅俊彦・専修大兼任講師(考古学)が、バリ島の国立考古学研究センターなどで確認した。

 見つかったのは、島内の集落跡、バドゥダワ遺跡などで出土した寛永通宝28枚と長崎貿易銭(元豊(げんぽう)通宝)4枚の計32点。日本の新聞が第2次大戦中、バリで寛永通宝が通貨の一部に交じって流通していると報じたことがあったが、実際に考古学調査による出土品が確認されたのは初めて。 (7月4日読売新聞)



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2011年07月03日

沖縄の“宝”公開 ネット上にデジタル書庫

 沖縄の“宝”を広く発信しようと県立図書館はこのほど、所蔵する古地図や絵図、古文書など610件をデジタル化し、「貴重資料デジタル書庫」としてインターネット上で公開を始めた。郷土学習や市町村史の編さん、研究などに幅広く活用してもらうと同時に、原資料の損耗を防ぐことが狙い。同館は「いつでも、どこでも、誰でも沖縄の貴重な資料に触れ、活用することができる。沖縄の文化の魅力や奥深さを多くの人に知ってもらいたい」と利用を呼び掛けている。同館ホームページで閲覧できる。

 iPad(アイパッド)でも利用できるなど、これまで来館しないと見られなかった資料が、閲覧・活用しやすくなった。2011年度にはさらに500点を追加する予定だ。解説を付ける作業も順次、進めている。

 デジタル化されたものの中には、安土桃山時代から江戸時代の臨済宗の僧・南浦文之(なんぽぶんし)が1649年に著した文集や、1714年に程順則(ていじゅんそく)が著した「雪堂燕遊草(せつどうえんゆうそう)」など貴重な資料も含まれている。

 東恩納寛惇文庫の「首里古地図」や「琉球染織」など40点には既に解説が付けられている。同館資料班の宮城涼子班長は「解説を読むことで鑑賞の仕方が分かり、資料への興味関心も高まる」と強調し、解説機能を充実させる考えを示した。 (7月3日琉球新報)




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<メキシコ>マヤ文字の石積み階段 日本人研究者が発見!

 メキシコ南部カンペチェ州で、古代マヤ文明の都市国家の一つで西暦250〜900年ごろに栄えたとみられるエル・パルマール王朝の遺跡から、マヤ人が表意と表音文字を組み合わせて生み出したマヤ文字が刻まれた石積み階段がほぼ完全な状態で見つかった。

 マヤ遺跡は公式登録されたものだけで6000を超えるが、マヤ文字の階段を持つピラミッド遺跡は約25しか見つかっておらず、その多くは風化と破壊で判読できなかった。

 発見者は米アリゾナ大の考古学者で、エル・パルマール調査団長の塚本憲一郎さん(38)。09年6月にマヤ文字が彫られたブロック石を発見。米ナショナル・ジオグラフィック誌やメキシコ国立人類学歴史学研究所の援助を得て、昨年12月に発掘調査を開始、今年2月までに地中に埋まっていた石積みの階段を掘り出すことに成功した。エル・パルマール遺跡は1936年に発見されたが、密林に阻まれ、発掘はほぼ手つかずだった。

 今回、マヤ文字の階段が見つかったピラミッド神殿は底辺が10メートル四方、高さが3メートルと小型で、階段は6段あった。内部に前歯に翡翠(ひすい)が埋め込まれた男性が埋葬されていた。

 刻まれていたマヤ文字によれば、ピラミッド神殿は西暦726年に建設された。エル・パルマールの歴代の王の名前や、ほぼ同時期に栄えたカラクルム王朝やコパン王朝から王が同地を訪れた、との記述も見つかった。

 マヤ社会は紀元前11世紀からスペイン人に征服された16世紀まで続くが、最も興隆したのは西暦250〜900年ごろ。統一王朝を持たず、複数の王朝が大小の都市国家を建設し、争っていた。(7月1日毎日新聞)







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2011年07月02日

住居跡から弥生期の土錘、大量に 亀岡・余部遺跡

 亀岡市教育委員会は30日、京都府亀岡市余部町の余部遺跡で弥生時代後期〜古墳時代中期(1〜5世紀)の竪穴住居跡4棟と鎌倉時代(13世紀)の溝が見つかったと発表した。住居跡から漁に用いたとみられる土の重り「土錘(どすい)」がまとまって見つかり、市教委は「網を使った漁労など当時の暮らしを知る手がかり」としている。

 同遺跡は弥生〜鎌倉時代の複合遺跡。1965年からの調査でも今回と同時期の住居跡31棟を確認している。今回は第10次調査で、遺跡の中心地とみられるグンゼ亀岡工場増設に伴い、敷地内の約800平方メートルが対象。住居跡は弥生時代の3棟と古墳時代1棟。1辺約3・5メートル〜6メートルの長方形か正方形で、柱穴とみられる跡や土器の破片などが見つかった。弥生後期の床下収納とみられる穴から直径4〜7センチの土錘が28個出土し、「府内でも弥生時代の土錘がまとまって見つかるのは珍しい」という。

 2日午前10時半から市民対象の現地説明会を開く。(7月1日京都新聞)




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