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2012年05月29日

江戸時代のコンパス出土

東京・新宿区の市谷仲之町遺跡で、江戸時代(18世紀半ば)の製図用の金属製コンパスが出土した。

 現代のものとほとんど変わりない形状で、貴重な発見だ。

 都埋蔵文化財センターの調査によると、コンパスは長さ7・8センチ、幅6ミリ、重さ20グラム。真ちゅう製(軸部は鉄製)で先端部分は欠損していた。

 2010〜11年の発掘で、地下室の遺構(深さ約1・5メートル)から、陶磁器や鉄製のナタなどとともに出土した。遺跡周辺は17世紀から幕末まで、「根来与力百人組」という下級武士の屋敷があった場所にあたる。

 文献には、ここに住んでいた与力が1813年に、暦作りの測量にかかわる職についていたことが記されており、関係が注目される。
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吉備池廃寺:「素弁」軒丸瓦を初発見 斑鳩寺と同じ型枠

 日本で初めての勅願寺とされる百済大寺(くだらのおおでら)と推定されている桜井市の吉備池廃寺で、素弁蓮華文軒丸瓦(そべんれんげもんのきまるがわら)が初めて見つかった。桜井市教委によると、斑鳩寺(斑鳩町)や四天王寺(大阪市)で出土している瓦と同じ型枠で作られた瓦で、建立の謎の解明につながる貴重な資料になるという。軒丸瓦は現在、同市立埋蔵文化財センターで初公開されている。【矢追健介】
 奈良国立文化財研究所(当時)の97年の調査で、飛鳥時代最大の金堂基壇跡が見つかり、吉備池廃寺と命名。日本書紀に舒明(じょめい)天皇が639年に建立の詔をしたと記される百済大寺である可能性が高まり、翌98年には100メートル近い高さだったとみられる塔の基壇跡も確認された。
 吉備池廃寺で見つかった瓦はこれまで、花びらの文様の中に子葉がある「単弁蓮華文軒丸瓦」で、この瓦の型枠はその後、四天王寺で用いられた。

 ところが、今年1〜2月に同市教委が実施した発掘で出土した「素弁」の軒丸瓦の文様には子葉がなく、より古いタイプと判明。型枠は「単弁」の軒丸瓦とは逆に、斑鳩寺若草伽藍(がらん)と四天王寺創建時の瓦を作った後で、吉備池に持ち込まれたと考えられている。寺院間での型枠の移動の方向が異なっており、建立のあり方が複雑だった可能性もあるという。


 菱田哲郎・京都府立大教授(考古学)は「これらの寺は相互に密接な関係があった」とし、大化の改新後に左大臣になった阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしのまろ)に注目。「阿倍倉梯麻呂は百済大寺の造寺司だったとする記録があり、日本書紀には648年に四天王寺へ仏像4体を納めたという記事がある。百済大寺の建立に、阿倍倉梯麻呂が関わっていたことの実証につながるのではないか」と評価する。また、吉備池廃寺で過去に出土している「軒平瓦」の型が、斑鳩寺の型と同じであることから、聖徳太子の一族が吉備池廃寺の建立にも関係していた可能性もあるとしている。


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2012年05月27日

萩前・一本木遺跡:古墳時代の首長居館跡出土

 高松市教委は、同市仏生山町甲の古墳時代中期から近世の集落跡「萩前(はぎのまえ)・一本木遺跡」で、古墳時代後期(6世紀ごろ)の首長クラスが使ったとみられる居館跡が見つかったと発表した。居館と集落は溝で区画されており、同様の構造を持つ遺跡の発掘は松山市の「樽味四反地(たるみしたんじ)遺跡」に次いで四国で2例目という。
 居館跡は市立病院の建設に伴い、昨年4月から続けられている発掘調査で確認。南辺30メートル以上、西辺20メートル以上の規模に掘られた溝(幅約2メートル、深さ約1・7メートル)により、外側の集落跡と区画されているのが特徴で、方形の溝に囲まれていたと推定されている。
 居館跡では、竪穴建物や掘立柱建物の遺構が複数確認されており、須恵器や土師(はじ)器の破片も見つかっている。一方、溝はV字形に掘削されており、防御を目的として掘られたと考えられるという。古墳時代後期の間だけでも、居館跡では時期の異なる複数の建物が建てられていることから、市教委は「高松平野にいた有力者が長期間、居住した跡ではないか」と推定している。
 発掘作業は8月まで続けられ、個々の建物の規模や構造について、調査を進める。市教委文化財専門員の波多野篤さんは「実態がよく分かっていない古墳時代の集落について、解明していくモデルケースになるのではないか」と期待している。
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「卑弥呼の鏡」コンパスで製作?形状33面一致

 邪馬台国の卑弥呼が中国・魏から受けたとの説もある三角縁神獣鏡の製作に、「挽型(ひきがた)」と呼ばれる木型が使われていたとみられることが、奈良県立橿原考古学研究所の調査でわかった。

 円形の鋳型を作る際、コンパスのように回転させて使う道具で、謎の多い鏡の製作過程を知る手がかりになると期待される。27日に東京・立正大で開かれる日本考古学協会総会で発表される。

 挽型は、鋳型の断面を刻んだ板で、軸を中心に回転させて粘土などを削り、立体的な鋳型にする。同研究所が、それぞれ同じ文様を持つ9組の鏡計36面について、精密なデータを比較。このうち、7組の33面で、挽型の軸を立てた際にできたくぼみとみられる跡や、同心円の凹凸の形状が完全に一致した。
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2012年05月24日

隠岐の島に採掘跡

 隠岐の島町久見で約2〜3万年前の後期旧石器時代に黒曜石を採掘していた跡が見つかった。黒曜石の採掘跡は全国各地で見つかっているが、旧石器時代のものが発見されるのは全国的にも珍しい。採掘跡周辺では、黒曜石製の石器も多数見つかっており、大規模な石器製作場があったと見られる。発掘した研究者は「山陰の旧石器文化の特徴解明につながる発見」と、研究進展に期待を寄せる。【宮川佐知子】
 広島大大学院の竹広文明准教授と世界ジオパーク登録を目指し活動する「隠岐ジオパーク戦略会議」(八幡浩二会長)、同町教委が19日、発表した。黒曜石は石器の材料として利用される火山岩の一種。隠岐の黒曜石を使った石器は各地で発見されている。
 調査開始は07年に豪雨のため高さ約5メートルの崖が崩れたのがきっかけ。竹広准教授が黒曜石が採れる地層を人為的に掘ったくぼみと黒曜石製石器を崖下で見つけた。08年にはくぼみ下部から、石を砕く石器「ハンマーストーン」などを発見。昨年9月には、後期旧石器時代のナイフ形石器など黒曜石製石器約20点も確認された。
 また、崖から約17・5メートル内側の地点を深さ約2・5メートル掘り進めたところ、黒曜石が採れる地層を発見。採掘場が広範囲に広がっていることも確認された。採掘場は良好な状態で残っており、竹広准教授は「土砂が堆積(たいせき)して埋没したため残った。国内でも珍しい遺跡だ」と説明した。
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奥平家しのび、戦国絵巻

 中津市の中津城で19日、4代目城主の奥平家をしのぶ「たにし祭」があった。武者行列や火縄銃撃ちなどの戦国時代絵巻に、大勢の見物客が見とれた。
 織田信長の名を高めた長篠の戦いで、奥平家が長篠城に立てこもり、援軍到着まで、堀のタニシで飢えをしのいだとされる故事にちなむ奥平神社の例大祭。城内ではタニシの佃煮(つくだに)が振る舞われた。
 甲冑(かっちゅう)を身に着けた若武者らがJR中津駅から凱旋(がいせん)行列しながら中津城へ。本丸で陣を張っていた長篠・下原鉄砲隊(愛知県新城市)が火縄銃の祝砲で出迎えた。耳をつんざくごう音とともに筒先から白煙が上がった。その後、若武者らが勝ちどきを上げた。
 東日本大震災復興支援として募金箱を置き、天守閣の入場料やオリジナルグッズの売り上げの一部も寄付する。
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