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2012年06月30日

日本書紀登場の幻の人工池「磐余池」 奈良の遺跡で池底跡見つかる

 日本書紀などに登場しながら所在地が分からなかった人工池「磐余池(いわれいけ)」の推定地、奈良県橿原市東池尻町の遺跡から池底跡が見つかり、市教委が29日発表した。池が鎌倉時代の13世紀初めごろ埋め立てられたことも判明。市教委は「国内最古の人工池の変遷を知る貴重な成果」としている。

 昨年の調査で堤跡の一部と大型建物跡が出土。日本書紀に聖徳太子の父、用明天皇(在位585〜587年)が磐余池のほとりで宮を営んだとの記述があり、建物跡はその関連施設の可能性が指摘されている。

 今回、池があったとされる堤の南側で池底跡とみられる堆積層を約80メートルに渡って確認。土の成分や出土した土器片などから、13世紀初めには埋められ水田になっていたことが判明した。

 磐余池は、万葉集に収められた大津皇子(おおつのみこ=663〜686年)の辞世の歌や、日本書紀に登場。清少納言も枕草子で代表的な池として紹介している。

 磐余池をめぐっては、同県桜井市にあったとする研究者もおり、論争の決着はついていない。木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「天香具山(あまのかぐやま)に近い特別な場所で当初は用水と観賞を兼ねた池として整備され、宮が移された後は農地に転用されたのではないか」と話している。

 現地は埋め戻されており、説明会はない。

 磐余池 日本書紀によると、5世紀前半に履中(りちゅう)天皇が造り、6世紀後半に用明天皇が近くで宮を営んだ。万葉集には謀反の罪で処刑された大津皇子の辞世の歌「ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨(かも)を 今日のみ見てや 雲隠(くもがく)りなむ」が残されている。産経新聞 6月30日




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宇陀松山城跡で鯱瓦出土 市教委「当時の山城知る貴重な資料」 奈良

 江戸時代初期の珍しいゾウの形をした瓦が見つかった宇陀市の国史跡「宇陀松山城跡」で、16世紀末〜17世紀初めに制作されたとみられる鯱(しゃちほこ)瓦が出土し、同市大宇陀拾生の松山地区まちづくりセンター「千軒舎」で展示されている。7月5日まで。

 市教委によると、破片などを含めて4個分の鯱瓦が見つかった。このうち1個は胴体部分を除いた頭と尾びれがそろっており、今回復元して公開した。推定で高さ約1メートル、幅0・25メートル。

 市教委によると、鯱瓦は、豊臣家支配下で1592〜1600年に城主を務めた多賀秀種の頃、改修された天守閣を飾るために制作されたとみられる。

 鯱瓦が見つかった近くでは、多賀家の家紋が装飾された瓦も出土した。

 市教委は「近世の鯱瓦がほぼ完全な状態で見つかるのは珍しく、当時の山城の様子を知る貴重な資料になる」としている。産経新聞 6月29日
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世界最古の陶器片発見=2万年前、中国の洞窟遺跡で

 中国南東部、江西省にある洞窟遺跡「仙人洞」で、2万年前から1万9000年前の陶器の破片を発見したと、北京大や米ハーバード大などの国際研究チームが29日付の米科学誌サイエンスに発表した。西方の湖南省の洞窟遺跡では1万8000〜1万7000年前の陶器片が見つかったと2009年に発表されていたが、これより古く、世界最古という。

 仙人洞の陶器片には焼け焦げた跡がある物が多く、食べ物の煮炊きに使われたとみられる。研究チームによると、約2万年前は最終氷期のピークで、狩猟・採集生活をしていた人類は堅い植物を煮て消化しやすくしたり、肉を食べた後の動物の骨や皮から骨髄や油脂を煮出したりして生き延びた可能性がある。
時事通信 6月29日
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2012年06月28日

旧二条城、信長の堀跡見つかる 内堀の西端付近

 民間の発掘団体「古代文化調査会」(神戸市)は28日、戦国時代に織田信長が造営した「旧二条城」の堀跡が京都市上京区下立売通室町西入ルの発掘調査で見つかった、と発表した。城の内堀の西端にあたるとみられ「城内部の構造を知る手掛かり」としている。

 集合住宅の建設に伴い、5月から260平方メートルを調査していた。見つかったのは、南北方向に8メートル延びる堀跡で、深さは当時の地表面から2・2〜2・4メートルで、幅は4・5〜6・5メートルあった。

 旧二条城は、信長が1569(永禄12)年に室町幕府の15代将軍・足利義昭のために造り、不仲になった義昭を追放した後、76(天正4)年に破壊した。1970年代の地下鉄烏丸線工事に伴う発掘で、外堀と内堀の二重構造であることが判明し、それぞれ南北の境界も分かっている。

 今回見つかった位置は内堀の西端付近にあたり、内堀の範囲は東西200メートル、南北160メートルになるとみられる。古代文化調査会は「内堀の東西の幅が推定できる貴重な成果だ」としている。30日午前10時〜正午に現地説明会(雨天決行)を行う。京都新聞 6月28日
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2012年06月27日

<韓国>新石器時代中期の耕作遺構を発見…国立文化財研発表

韓国の国立文化財研究所は26日、江原道高城郡(カンウォンドコソングン)(韓国北東部)の文巌里(ムンアンリ)遺跡で、新石器時代中期の耕作遺構が見つかったと発表した。一緒に出土した土器片などから紀元前3600〜3000年ごろの畑作の跡とみられるという。同研究所は「東アジアで最初に見つかった新石器時代の畑の遺跡だ」としている。

 10年から始まった発掘調査で分かった。畑の跡は2層に分かれ、上層(1260平方メートル)は畝の幅が一定でないなど古式的な特徴があった。

 下層(1000平方メートル)は形のまちまちな畑が集まり、複合的な栽培が行われていた可能性がある。下層から土器片や住居跡などが見つかり、時代の推定につながった。

 これまで新石器時代の遺跡から農耕関連の石器や炭化した穀物が見つかり、畑の存在が推定されていたが、実際に遺構が確認されたのは初めてだという。毎日新聞 6月27日
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2012年06月26日

<元寇船>全長27メートル 海底遺跡再調査

 鎌倉時代の元寇(げんこう)船とみられる沈没船が発見された長崎県松浦市鷹島沖の「鷹島神崎(こうざき)遺跡」を再調査している池田栄史(よしふみ)・琉球大教授(考古学)の研究チームは26日、船底の背骨に当たる竜骨(キール)の長さが13.5メートルであると発表した。当初の調査より約1.5メートル長く、船体の全長は約27メートルとみられるという。

 再調査は、18日からで、キールを発見した東側約30平方メートルを発掘。船体の規模の解明などを目指している。池田教授によると、キールは劣化が激しく、部材は発見できなかった。はがれた漆喰(しっくい)の分布範囲から推定したという。

 同遺跡は今年3月、海底遺跡としては初めて国の史跡に指定された。次回の調査は10月を予定している。

 池田教授は「船体の規模の解明のため、キールの西側などの調査を検討したい」と話した。毎日新聞 6月26日





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2012年06月24日

酒、酒、酒…土器にびっしり、本物の代わり?

 器の底が「酒」の文字で埋め尽くされた9世紀後半(平安時代)の土師器(はじき)が、千葉県流山市の前平井遺跡で出土した。

 発掘した県教育振興財団文化財センターは「文字を実際の酒の代わりにし、祭祀(さいし)に用いた可能性がある」と推測している。

 この器は直径約12センチ、底の径6センチ、深さ3・7センチの坏(つき)。内側と外側に20字以上の文字が墨書されており、底には「酒」の字が同じ向きで6字以上並んでいた。

 外側には、道教の呪符に用いられる中国・唐代の則天文字に似た同じ文字も二つ書かれていた。

 「酒」の文字が書かれた墨書土器は少なくないが、いずれも酒を入れる器であることを示したもので、今回のように多く書かれた例はないという。読売新聞 6月24日
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2012年06月22日

古代ローマの重層ガラス玉か=国内初、古墳で出土―京都

 京都府長岡京市にある5世紀前半の宇津久志古墳で1988年に出土した「重層ガラス玉」が、古代ローマ帝国で製造された可能性が極めて高いことが分かったと、奈良文化財研究所が21日発表した。古代ローマ製とみられる重層ガラス玉が国内で見つかったのは初めて。重層ガラス玉では国内最古という。

 重層ガラス玉は、ガラスの間に金箔(きんぱく)などの金属片を挟み込み、装飾効果を高めたガラス製品。高度な技法が用いられ、古代ローマの領土だったエジプトやシリアで主に作られた。

 宇津久志古墳から出土した重層ガラス玉は、直径と長さが各5ミリで真ん中に直径1.5ミリの穴が開いた物が1個と、1ミリ程度の破片2個。

 同研究所は昨年、文化財の材質調査で広く利用される蛍光X線分析を使って調査。金属片は金箔で、ガラスは主原料や材料の組成などから古代ローマ製と同じと判明した。紀元前1世紀から4世紀の間に作られたとみられる。

 同研究所によると、重層ガラス玉は日本では5世紀半ば以降の約80遺跡で200点ほど確認されているが、科学的分析が公表されているのは5遺跡10点で、いずれもアジアなどで作られた物という。 時事通信 6月21日





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2012年06月20日

脇本遺跡:初の弥生前期末の建物跡 県内最大

 県立橿原考古学研究所は19日、桜井市の脇本遺跡で、初めて弥生時代前期末の竪穴建物の遺構が見つかったと発表した。直径約7・5メートルの楕円(だえん)形で、建物中央に2本の柱と炉があり、周囲に8本の柱穴がある。発掘された同時代の建物としては県内最大となる。

 今回の発掘は4、5月に140平方メートルの範囲で行われた。見つかった竪穴建物は、韓国西南部の松菊里遺跡で発見された「松菊里型住居」に似ている。松菊里型住居は、日本には縄文時代晩期末から弥生時代中期に伝わったとされる。福岡県で多く発掘されているが、県内では御所市鴨都波遺跡などに続く4例目。

 出土した土器から弥生時代前期末と判断した。床面からは、石器の原料となるサヌカイトの破片が出土しており、石器づくりをしていたと考えられる。脇本遺跡では、昨年度の調査で3〜6世紀にかけて重複する19棟の建物跡が見つかっており、橿考研は「弥生時代前期末までさかのぼって、集落の様子を考えていく必要がある」としている。毎日新聞 6月20日







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2012年06月19日

<脇本遺跡>大伯皇女の斎宮か 7世紀後半の大型建物跡発見

 奈良県立橿原考古学研究所は19日、同県桜井市の脇本遺跡で、7世紀後半の大型建物跡を発見したと発表した。昨年5〜8月の発掘で柱跡が見つかり、柵か建物跡か不明だったが、新たな柱跡を見つけ、建物跡と断定した。橿考研は「天武天皇の娘、大伯皇女(おおくのひめみこ)が心身を清めたとする泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)の一部である可能性が考えられる」としている。
 日本書紀には、大伯皇女が673年に泊瀬斎宮で身を清め、翌年に伊勢神宮に斎王として向かったとあり、脇本遺跡が斎宮の有力候補地とされる。

 発掘は昨年10月〜今年2月、472平方メートルで実施。発掘済みの14本の柱跡につながる4本の柱跡を発見し、東西18.8メートル、南北8メートルの掘っ立て柱建物跡と分かった。過去に発掘された7世紀後半の柱列と建物の東西の柱筋が一致するため、同年代と判断した。

 前回調査と合わせ、3〜6世紀にわたる19棟の竪穴建物跡も発見。竪穴建物による集落が継続していたことも明らかとなった。現地は埋め戻されており、出土遺物は7〜9月に橿考研付属博物館で展示する予定。毎日新聞 6月19日







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<鷹島神崎遺跡>沈没船の船首などの探索開始

 長崎県松浦市と琉球大の池田栄史(よしふみ)教授(考古学)の研究チームは18日、同市鷹島沖の「鷹島神崎(こうざき)遺跡」で鎌倉時代の元寇の際に沈没したとみられる船体の再調査を始めた。これまで沈没船の船底部分が発見されているが、船首と船尾が不明。28日までの11日間、船全体の規模を明らかにすることを目指す。

 池田教授の研究チームは昨年10月、鷹島・米ノ内鼻の沖合約200メートル、水深20〜25メートルの海底で沈没船の一部を発見し、船体の基底となる長さ約12メートルの竜骨(キール)と両舷の外板を確認した。周囲には、中国・南宋時代の陶磁器片なども散乱していた。同遺跡は今年3月、海底遺跡としては初めて、国の史跡に指定された。

 再調査は潜水で船の東側(約50平方メートル)を発掘する。池田教授は「キールの全長を確認できれば、船全体の構造が分かってくるかもしれない」と話した。毎日新聞 6月19日







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2012年06月18日

元寇船、どんな大きさだったのか…海底調査開始

 13世紀の元寇(げんこう)で海底に沈んだ元軍の船が見つかった長崎県松浦市の「鷹島神崎(こうざき)遺跡」で18日、琉球大や松浦市が今年度の調査を始めた。

 沈没船は琉球大の調査チームが昨秋、離島・鷹島の南で発見。周辺は水中遺跡としては初の国史跡に指定された。船底の背骨にあたるキールの一部や多数の船底・船腹の板材が確認されており、18〜28日の調査ではキール付近を25平方メートルほど試掘し、船の大きさや構造を調べる。10月にも周辺の別の場所で調査を行う予定。読売新聞 6月18日
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応神天皇陵「ナンバー2」の悲しさ…体積は日本一なのに

 「ナンバー2」の悲哀か−。国内最大の仁徳天皇陵(堺市、全長486メートル)よりわずか60メートル小さいだけで、「仁徳」の陰に隠れがちな応神天皇陵(大阪府羽曳野市、同425メートル)。近くにレストランや観光案内所がある仁徳天皇陵と比べると、観光施設もなくひっそりしている。しかし体積は143万立方メートルで、仁徳天皇陵(推定140万立方メートル)をわずかにしのぐ。全体的な大きさなら「真の日本一」といえるだろう。

 古墳の周囲を歩くと、仁徳天皇陵にはない魅力がある。場所によっては、古墳を囲む堤越しに墳丘を直接見ることができ、天皇陵の大きさが実感できる。

 「倭(わ)の五王」の一人ともいわれる応神天皇は、百済(くだら)の王から大刀などが贈られ、論語や千字文を伝えたという王仁(わに)博士も来日。大陸の先進文化が花開き、東アジア外交に力を尽くした。亡くなったのは西暦310年4月1日とされる。その1700年後にあたる一昨年には、宮内庁が、毎年の命日祭「正辰(しょうしん)祭」に代わって100年ごとの「式年祭」が営まれた。

 古墳の築造時期については、宮内庁や羽曳野市教委などの調査で5世紀前半と判明。古墳に立てられた埴輪(はにわ)が決め手となったが、日本書紀などに記された応神天皇の年代より100年ほど新しくなってしまった。

 応神天皇陵説は虚構か−というとそうではないようだ。中国や朝鮮の文献と照合すると、応神天皇は5世紀初めまで国を治めたとの説が有力で、高野学・同市歴史文化推進室長は「築造時期とは大きな矛盾がない」と話す。

 仁徳天皇陵などとともに世界遺産暫定リスト入りした応神天皇陵は、地域の誇り。「近鉄電車の窓から応神天皇陵の大きな墳丘を見ると『羽曳野に戻ってきたなあ』と感じます」と高野さん。「月明かりに浮かぶ姿も実に壮観なんですよ」産経新聞 6月18日

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2012年06月17日

ネアンデルタール人が4万800年前に描いた壁画か 欧州最古と判明

 ワシントン(CNN) スペイン北西部の洞窟に描かれた壁画が、今から約4万年より前に描かれた欧州最古の壁画であることがわかった。これまで最古とされていたものより数千年古く、現代の人類に近い祖先、またはネアンデルタール人が描いた可能性もあるという。15日の科学誌「サイエンス」に発表する。

研究チームはスペイン北西部にある11の洞窟に描かれた壁画50点について、壁画を覆っていた炭酸カルシウムの堆積物を、ウラン・トリウム年代測定と呼ばれる方法を使って調べた。

その結果、赤い円盤形の壁画は4万800年、手の形をした壁画は3万7300年、棒の形の壁画は3万5600年以上も前のものであることが分かった。

これは今まで最古と考えられていた壁画より少なくとも4000年は古いという。現代の人類に近い祖先が欧州に到達したのは4万2000〜4万1000年前だったとされる。

芸術作品は人類の認知力や象徴的行動の進化を調べる上で貴重な手がかりとされ、言語の発達と関連付けられることもある。

研究チームでは、ネアンデルタール人は狩猟や採取だけでなく壁画制作の能力も持っていた可能性があると見ており、今回の測定結果はこの説を裏付けるものだと解説する。ただし結論を出すためにはさらに調査を行う必要があるという。CNN.co.jp 6月15日20120615-00000014-jijp-000-0-view.jpg
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「戸籍」木簡説明会:多くのファン、感動 太宰府の国分松本遺跡から出土 /福岡

 太宰府市教委は16日、国分松本遺跡から出土した最古の戸籍関連木簡に関する説明と展示会を、同市国分4の市文化ふれあい館で開いた。発掘現場での説明は雨天中止となったが、歴史的な発見である木簡を一目見ようと午前中、約400人が訪れた。

 説明会は100人ごとに約10分間ずつ、木簡の発掘を指揮した市教委文化財課の高橋学・技術主査が解説した。16人の人名や注記があった木簡について、戸の異動を記した帳簿木簡▽発見現場の近くに「大宰府」の前身の「筑紫大宰」があった可能性もある−−などと説明。この後、参加者は別室に展示された木簡をカメラに収めるなどしていた。木簡は24日まで展示される(18日は休館)。

 東区の高校3年、占部朱夏(あやか)さん(17)は「木簡には私と同じ占部という姓もあり、親近感がわいて家族と来ました。1300年前の字がきれいに残っていて感動しました」と話していた。毎日新聞 6月17日
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2012年06月13日

最古の「戸籍」木簡、太宰府で出土…大宝律令前

福岡県太宰府市の国分(こくぶ)松本遺跡で、戸籍に関連する飛鳥時代後期(7世紀末)の木簡が見つかったと、市教委が12日、発表した。

 正倉院に伝わる現存最古の戸籍(702年)より古く、中央集権国家が完成したとされる大宝律令の制定(701年)より早い段階で、国家が地方の人々まで直接支配していたことをうかがわせる第一級の資料として注目される。

 木簡は縦31センチ、横8・2センチ、厚さ8ミリ。現在の郡にあたる、大宝律令以前の地方行政単位「評(こおり)」や、685年に定められた官位「進大弐(しんだいに)」の表記があり、7世紀末のものと判断された。

 「戸主(世帯主)は、たけるべのみまろ」、「その妹は、やおめ」など、同じ集落に住む16人の氏名や続き柄のほか、21〜60歳の健康な男子を指す「政(正)丁」、その中から徴発される兵員「兵士」の表記があった。読売新聞 6月13日

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埋蔵文化財発掘調査:杉の堂遺跡や胆沢城跡

 奥州市で昨年度行われた埋蔵文化財発掘調査の成果を紹介する「発掘された奥州市展2012」がこのほど、同市前沢区の「牛の博物館」で始まった。市内の3カ所で巡回展示される。

 同市教育委員会は昨年度、杉の堂遺跡(水沢区)▽胆沢城跡(同)▽白鳥舘遺跡(前沢区)▽長者ケ原廃寺跡(衣川区)の調査を行った。いずれも、長期間調査が続けられているが、市民が出土遺物を見る機会は少ないことから、まとめて紹介する場を、と企画された。土器など約200点が展示されている。

 杉の堂遺跡は、縄文時代後期から平安時代にかけての住居などの跡で、昨年はこれまでの調査範囲の西側を調査。多量の土器、石製品などが出土した。展示会には、原形をとどめていると見られる注ぎ口のついた土器「注口土器」などが出品されている。

 また、白鳥舘遺跡からは、大型の建物跡や中国産の陶磁器、くぎなどの鉄製品が出土した。このうち、器と手に持つ「つる」の部分をつなげるのに使われたとみられる「提子(ひさげ)の金具」などが展示されている。同遺跡からは、「かわらけ」を焼いた窯跡とみられる遺構が確認されており、平泉のかわらけの技術系譜を考えるうえで重要、とされている。毎日新聞 6月13日
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円墳に木棺埋葬跡を確認 京田辺・口仲谷古墳群

 京田辺市教委は12日、同市松井の口仲谷古墳群の発掘調査結果を発表した。円墳の内部に木棺の埋葬跡を3カ所確認し、市教委は「古墳群付近に居住していた一族の墓と考えられる。周辺地域に横穴式の古墳群が多いなか、円墳ばかり集まっているのは珍しい」としている。

 同古墳群は1982年に当時の田辺町教委が発見した。広さは約2400平方メートルで、土地造成に伴い市教委が2011年12月から発掘調査してきた。

 これまで円墳13基があると推定されていたが、今回の調査で1基は自然地形と判明、2基で一つと推定される古墳もあり、直径6〜13メートルの円墳11基が点在することが分かった。

 また、長さ1・5〜2メートルの木棺の埋葬跡が3カ所見つかり、うち2カ所は一つの円墳内に縦に並んでいた。副葬品などはなかった。丘陵地に土を盛った比較的簡素なつくりで、6〜7世紀の古墳時代後期のものと考えられるという。

 市教委社会教育・スポーツ推進課は「周辺で見つかっている同時期の古墳の大半は横穴式。円墳にこだわった一族がいたのかもしれない」としている。京都新聞 6月13日




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2012年06月12日

項羽が焼き打ちした跡か…中国・秦の兵馬俑遺跡

11日付の中国紙・北京日報によると、陝西省西安市郊外にある秦始皇帝の兵馬俑(へいばよう)遺跡の1号坑で2009年6月から行われている発掘調査の結果、坑内で焼き打ちされた跡が発見された。

 調査の結果、坑内で大量に発見された炭化した箇所や木の灰は、高温で大規模な火災が起こったことを示し、自然発生の火災ではないと判断された。

 「兵馬俑の父」と呼ばれる考古学者・袁仲一氏は、遺跡の建造時期と焼き打ちの時期はあまり離れていないと指摘。古代中国の楚の武将・項羽が、前漢の劉邦を宴に招いて殺害しようとした鴻門から遺跡が5キロ・メートルほどしか離れておらず、項羽が始皇帝に憎しみを抱いていたことなどから、「項羽が遺跡を焼き打ちした可能性が比較的高い」と分析している。読売新聞 6月12日
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2012年06月09日

県有形文化財:「上月文書」、181資料を加え新たに指定 県立文書館で企画展開催中

 県教委は、国人領主だった上月(こうづき)氏に関する室町〜江戸時代の古文書群「上月文書附井口家関連資料」を県有形文化財に指定した。文書の一部は1956年に文化財指定を受けたが、歴史的価値が高いとして181資料を新たに加えた。所蔵する県立文書館が開く記念企画展で公開されている。

 上月氏は播磨(現兵庫県)の守護・赤松氏の支族で、後に阿波に移住した。文書は、播磨出身とされる徳島藩士だった井口家(東みよし町)に伝わる。

 文書はほとんどが書状で、感謝状や譲り状など。応仁の乱の東軍総大将として知られる細川勝元からの軍勢を督促するものもあり、国人や守護に関する貴重な資料という。また、井口家に伝わる経緯は不明だが、蜂須賀家家臣の出自を探る手がかりにもなるという。毎日新聞 6月9日

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