ダイソン オンラインストア 221616.com【ガリバー】

2012年07月22日

800年前中井町で盗難、曽我兄弟仇討ち縁の仏像が山形で発見

 鎌倉時代に中井町から「行方不明」になっていたとされる仏像が、山形県鶴岡市の寺院に保存されていることが分かった。持ち去ったとみられるのは、曽我兄弟の仇討(あだう)ちで討たれた工藤祐経の一族。伊豆から逃亡する際に一門の守護を願って運び出したとの伝承の存在が、最近になって一族の子孫から関係者を通じて町にもたらされた。現地で確認した中井町の住民らは、800年余の時を経て解きほぐされた謎にさらに迫ろうと、詳細な調査や両市町の交流を描いている。

 もともとは中井町にあったとされているのは、鶴岡市大鳥地区の龍雲院にある大日如来坐像。青銅製で鎌倉時代の作とされ、市指定文化財となっている。

 地元で語り継がれる「落人伝説」によると、源頼朝の配下にあった工藤祐経が曽我兄弟に討たれた後、身の危険を感じた弟の祐茂は伊豆を離れ、6年間の流浪の末、大鳥地区に村を開いた。この際、「相模の国田中の森」に鎮座していた大日如来像を持参していたと伝えられていた。

 一方、中井町半分形(はぶがた)では、持ち去られた大日如来像の後継として作られた木製の如来像が自治会館に安置され、町の指定重要文化財にもなっている。

 木製如来像の内部に納められていた「大日如来之記」には「俗(賊)難のために、行き方知れず」とあり、何者かに盗まれたため仏像を作り直したことが記されていたが、どこに持ち出されたかは杳(よう)として知れなかった。

 出自と行く末の分からぬ二つの仏像を結んだのは、工藤一族の子孫に当たる斉藤登美子さん(72)=千葉県野田市。大鳥地区に伝わる大日如来像の由来記を昨年、書にしたためて奉納した際、「相模の国田中の森」の記述にあらためて注目した。何らかの手掛かりが得られればと、知人で厚木市に住む渡辺芳子さん(75)にも同じ書を提供。渡辺さんが「田中」という地名が実在する中井町に書を送るなどしたところ、行方不明になった仏像があることが分かった。「田中」は「半分形」に隣接している。

 これを受け、今年3月まで町文化財保護委員を務めた森茂さん(79)=同町半分形=ら有志が6月に鶴岡を訪問。龍雲院で大日如来像を確認し、祐茂の墓にも参拝した。森さんは「まさか山形にあったとは驚いた。歴史の深みに触れた思い」と驚きつつ「如来像の年代測定は行っていないが、経緯などに関する記述は合致している。曽我に近い中井をなぜ通ったのかなど謎はたくさんある。今後も調査を続けたい」と歴史浪漫に思いをはせる。カナロコ 7月22日
無題5.png
posted by やまちゃん at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 未配信ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北端・段差、南端・石垣を発見 大津市の膳所城遺跡

 県文化財保護協会は、大津市の膳所城遺跡で、北の丸の南北端を示す段差や石垣などが見つかった、と発表した。北の丸の発掘調査は初めて。規模や築城後に拡張工事が行われたことが推測できるという。
 膳所城は1601年に築城。1870年の廃城後に解体され、湖岸部の埋め立ても進んだため、公園となった本丸跡以外の遺構はほとんど地表に残っていない。

 調査は北の丸の一部にあたる約270平方メートルで行われた。北の調査区で、北の丸北端部とみられる高さ1・3〜1・5メートルの段差を確認。調査地の南に接する公園には、南端部とみられる石垣が現存しており、南北方向は約60メートルの規模だったことが分かった。

 一方、南の調査区では上下2段に重なる石垣が見つかった。ある時期には、この石垣が北の丸の南端だったとみられる。現存する石垣より約17メートル北にあり、北の丸が南へ拡張されたことを示すという。拡張時期は不明だが、膳所城は寛文2(1662)年の地震で被害を受けたことが分かっており、関連を調査する。また建物の周囲をめぐる雨落ち溝なども見つかり、同協会は「北の丸内部の建物配置や区割りを探る手がかりを得た」としている。

 同協会は22日、安土城考古博物館(近江八幡市)で開く報告会「あの遺跡は今!15」の中で、今回の調査報告や出土遺物の展示を行う。同博物館や県埋蔵文化財センター(大津市)で写真パネルの展示も行う。いずれも無料。京都新聞 7月21日








posted by やまちゃん at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 未配信ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

平安後期の腰刀も 奈良市教委 西大寺旧境内で発見

 奈良市教委は9日、同市西大寺南町の西大寺旧境内で発見された平安時代後期(12世紀後半)とみられる腰刀2本を公開した。市教委によると、国内で見つかった同時期の腰刀としては最大という。

 腰刀は平安時代後期、成人男性が生活や護身用に持っていた刀。今回見つかったのは、全長49センチと27・2センチの2本。中国製の磁器とともに埋葬されていた。

 埋葬されていた人物は特定されていないが、腰刀の柄(つか)や鞘(さや)の装飾の特徴が、三重県の雲出島貫(くもづしまぬき)遺跡で出土した腰刀と類似。同遺跡は、平氏一族の伊勢平氏の関連人物の墓とされている。

 市教委は、今回見つかった腰刀の所有者について「伊勢平氏に関わりのある身分の高い人物ではないか」とみている。

 腰刀は、あわせて出土した磁器や轡(くつわ)などとともに市埋蔵文化財調査センターで公開している。産経新聞 7月10日
無題4.png
posted by やまちゃん at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 未配信ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女子高敷地内に弥生遺跡

 兵庫県姫路市埋蔵文化財センターは、兵庫県播磨高校(姫路市)の敷地から、4棟以上の竪穴住居跡を含む、弥生時代の集落跡が見つかったと発表した。同センターは「遺跡の状態から、周辺にはかなりの数の住居が広がっていた可能性がある」と話している。

 JR姫路駅の南、約300メートルにあるこの学校の周辺は、「豊沢遺跡」として知られていたが、最近まで本格的な調査が行われず、実態はわからないままだった。

 2010年、学校の西隣で行われた初の本格調査では、大量の土器や石器が見つかった。今回、学校が留学生の宿舎建設工事に着手したのに合わせ調査したところ、初めて住居の跡が確認された。また、家を何度も建て替えた痕跡や、稲穂を刈るための石包丁のほか、焼けた土や炭も多く見つかった。 時事通信 7月10日
posted by やまちゃん at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 未配信ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
JAL 日本航空 宿・ホテル予約ならじゃらんnet 京王百貨店 京王百貨店 楽天トラベル株式会社