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2012年09月27日

被災の古文書、修復へ

 国立国会図書館は26日、東日本大震災の津波で傷んだ岩手県指定有形文化財の古文書「吉田家文書」を来月から2年間かけて修復すると発表した。
 吉田家文書は、仙台藩で租税事務などを担当する「大肝入」(おおきもいり)を世襲していた吉田家に伝わる文書類。1750年(寛延3年)から1868年(明治元年)の執務記録が残され、岩手県陸前高田市立図書館が所蔵していた。
 同図書館は津波で全壊し、流失を免れた吉田家文書もカビの発生や腐食が判明、岩手県教育委員会が計141冊の修復を依頼していた。時事通信 9月26日
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2012年09月20日

古代アンデス文明、最古級の指導者の墓発見

 ペルー北部・アンデス山中のパコパンパ遺跡を発掘調査している国立民族学博物館(大阪府吹田市)など日本・ペルーの合同調査団は20日、金製品が副葬された紀元前700年頃の指導者とみられる人物の墓が見つかったと発表した。

 古代アンデス文明で確認されている中では、同国のクントゥル・ワシ遺跡などと並び、最古級の指導者の墓とみられる。

 首都リマの北北西約700キロ、標高約2500メートルにある古代アンデス文明形成期(紀元前2500年〜紀元前後)の遺跡で、2005年から調査している。

 墓は楕円(だえん)形(長径約90センチ、深さ約25センチ)で、性別不明の1人分の人骨が、頭を南に向け、膝を抱えるような姿勢で見つかった。下あごの近くで金製のリング状の飾り(直径2センチ)や石製の管玉(長さ0・5センチ)が副葬されていた。読売新聞 9月20日

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2012年09月13日

捨て場遺構:五城目・中山遺跡で発掘 縄文後期後葉、県内2例目

 縄文時代晩期(3000〜2300年前)に北海道南西部から東北にかけて栄えた「亀ケ岡文化」を中心に研究している弘前大亀ケ岡文化研究センターは12日、五城目町高崎の「中山遺跡」の発掘調査で、木の実の殻がまとめて捨てられた跡の「捨て場遺構」や、保存状態が良好な漆塗りの土器などが見つかったと発表した。捨て場遺構は縄文時代後期後葉3500〜3000年前のもので、同時期の遺構が見つかったのは県内で2例目。

 同遺跡は1900(明治33)年以降、3回の発掘調査が行われている。今回の調査では、中山遺跡にある丘陵地の南側にA区とB区の2カ所の区画を設け掘削調査した。

 A区は3500〜3000年ごろの地層が地表から約1・5メートルの位置に分布しており、トチやクルミの殻がまとめて捨てられた跡の「捨て場遺構」が見つかった。過去の調査でもトチやクルミの殻は見つかったが、今回の殻は中の実がすべてなくなっており、まとまって存在していることから、ヒトが食用などにして殻を捨てた跡と推定する大きな材料という。ほかに土器の破片なども見つかった。

 B区は3200〜2800年ごろの地層。丸い土器のつぼ(高さ約15センチ、直径10センチ)やくしなどの漆器、さじや皿などの石製品が見つかった。


 A、B区とも大量の土器や石器の破片のほか、花粉や植物の種子なども見つかった。

 同大日本考古学研究室の上條信彦准教授によると、中山遺跡は低湿地にあり、泥に埋もれているため微生物の分解作用が抑制され、植物の種子や殻、漆製品の表面などの保存状態が良好だという。上條准教授らは採取した種子などをふるいにかけて数量を分析。当時の縄文人がどれだけの植物を消費していたかを推定したり、種子のDNA分析で栽培用の植物だったかなどの解析を進めている。

 上條准教授は「捨てられた種子などの分量を推定することで、当時どれくらいの人が生活していたかなど、当時の生活様式が分かる。今回の調査の成果は大きい」と話している。毎日新聞 9月13日
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2012年09月12日

信長も使用?金沢・石浦神社で見つかる

 金沢市本多町の石浦神社の保管品の中から、戦国時代の武将、織田信長の家紋が入った槍(やり)が見つかった。同神社の長谷吉憲宮司(37)によると「家紋に加え、信長ゆかりの神社に家臣の子孫が槍を奉納したとの記録もある。信長自身が使った可能性もある」という。今後、専門家に正式な鑑定を依頼する方針。

 長谷宮司によると、槍は元々、同市野町の泉野菅原神社が所蔵していた。同神社が00年に火災に遭った後は、石浦神社で保管している。泉野菅原神社は加賀藩2代藩主の前田利長の正室、永姫(玉泉院)が建立。信長は永姫の父であることから、江戸時代から信長をまつっていたとされる。

 槍の柄の先端には信長が使用していた「木瓜」の家紋が刻印されている。槍を奉納した際の「由緒書」には信長の家臣の子孫が明治時代、泉野菅原神社に奉納したと記されていた。槍の穂は現存せず、漆塗りの柄は00年の同神社の火災で一部が焼け、保存状態は良くない。金沢市文化財保護課は「詳しい鑑定もしておらず、今の段階では、信長に関係したものかなどは判断できない」と話している。

 長谷宮司は「信長との関連が伝わる神社に奉納された経緯も含め、信長ゆかりの品の可能性もあり、市民の宝として保存したい」と話している。毎日新聞 9月12日
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出土のガラス玉、古代ローマ帝国製か…広島

 広島県三次市東酒屋町の松ヶ迫矢谷遺跡(3世紀前半)から出土したガラス玉3点(直径約1センチ)が、古代ローマ帝国で作られたガラスを素材にしていた可能性の高いことがわかった。

 当時の交易や交流の姿を示す貴重な史料になりそうだ。

 県立歴史民俗資料館(三次市小田幸町)が発表した。ガラス玉は1977年、三次工業団地造成に伴って行われた発掘調査で、埋葬施設から出土。コバルト色で、長さ7・3〜7・9ミリ、直径8・8〜9・9ミリ。中央に穴が開けられ、装身具の一部に使われたと推測されている。

 3月、奈良文化財研究所(奈良市)が、蛍光エックス線などで分析。その結果、ローマ帝国産ガラスの特徴である、「ナトロン(蒸発塩)」が使われていることが確認された。ガラスの産地は地中海沿岸から中東にかけてのエリアと考えられるが、玉形に加工したり、色づけしたりした地域は不明だという。

 同資料館の下津間康夫学芸課長は「ローマ帝国産のガラスで造られたと推測されるガラス玉では、国内最古級。1800年前の物流が確認できる貴重な史料」としている。

 ガラス玉は14日から同資料館で開かれる秋の特別企画展「中国山地の原始・古代」で公開される。読売新聞 9月12日

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石田堤の跡を発見 行田の個人宅敷地内で 古墳崩し建設か

 行田市堤根地区で行われた発掘調査で石田堤の一部が見つかった。石田堤が発掘で発見されたのは初めて。

 石田堤は天正18(1590)年に石田三成が忍城を水攻めした際に築いた堤の一部。全長は14キロとも28キロともいわれるが、大半は取り崩され、現在は同地区を中心に点在するだけになっている。

 発端は個人住宅の建設に先立つ発掘調査。発掘された堤は上半部は崩れていたが、基礎部分はしっかりと残っていた。堤は東側から西側にかけて、斜めに土を積んでいた。堤からは埴輪(はにわ)や土器の破片も見つかり、付近の古墳や遺跡を取り崩して堤を築いたことを暗示させた。

 また堤を築く際に、目印となるくいを打った跡と思われる穴が見つかったほか、堤の外側すそ部分に盛り土をして補強していたことなど、堤の築き方がうかがえる興味深い発見もあった。

 同市教育委員会文化財保護課の中島洋一課長によると、付近には土が盛り上がっている部分もあり、以前から石田堤がある場所ではないかと考えられていたという。

 中島課長は「鴻巣市吹上地区にある堤と同じ構造なことも分かった。これが石田堤の解明につながれば」と期待していた。埼玉新聞 9月11日

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2012年09月03日

「黄泉の国」を調査 NPO、出雲・猪目洞窟遺跡など

 古事記に記されている出雲国(島根県)の「黄泉(よみ)の国(穴)」について、NPO法人洞窟環境NET学会(本部・大阪市)が、有力地とされる猪目洞窟遺跡(出雲市猪目町)や同遺跡から西約1・5キロの脳島(なづき)の巨大洞窟など5カ所と関連する3神社を訪れて初調査した。

 訪れたのは、世界中の洞窟を調査して文化遺産を守る活動している同学会長で工学博士の沢勲・大阪経済法科大名誉教授(74)、同会員の由良薫・同大客員教授(70)ら。

 脳島の巨大洞窟には、「銅山を訪ねる会」の梶谷実代表が鷺浦港から船で案内。沢会長らはレーザー距離計で洞窟の高さ、奥行きなど規模を実測した。

 また、黄泉の国の入り口とされる黄泉比良坂(よもつひらさか)と揖夜(いや)神社(松江市東出雲町)のほか、出雲神話でオオクニヌシが国造りの際に仮住まいしたとされ、万葉集にも詠まれる静之窟(しずのいわや)(大田市静間町)などにも足を運んで測量、聞き取り調査を行った。

 沢会長は「洞窟はどれも神々の国らしく人の手が加えられた形跡が少なく、太古の自然の形が良好な形で伝っている。出雲国風土記や万葉集など文献に照らし、詳細に検討する」などと話した。9月2日産経新聞






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