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2012年10月04日

屋敷裏遺跡の住居跡から豪華な壺 なぜ古墳の副葬品が…

 羽生市名の利根川沿いに位置する屋敷裏遺跡で、古墳時代後期の住居跡から須恵器の壺が出土した。豪華な装飾の施されたトロフィーのような壺は、豪族が眠る古墳の副葬品として作られたもので、住居跡から発見されるのは稀。県内では類例がないという。しかも壺部分と台部分は別々の住居跡で見つかっており、謎は深まるばかり。誰が、どんな目的で所有していたのか。古代のミステリーに迫った。

■ステータス

 屋敷裏遺跡は縄文時代から平安時代に至る複合遺跡。利根川の堤防強化工事に先立ち、県埋蔵文化財調査事業団が昨年4月から今年3月にかけて発掘調査を実施したところ、古墳時代65軒を含む94軒の住居跡が発見された。

 トロフィー形の壺は6世紀後半の「脚付長頚壺(きゃくつきちょうけいつぼ)」で、高さ約40センチ。壺部分に「カキ目」と呼ばれる横線が、台部分には円形や四角の透かし穴が施されている優品だ。土の質感から、産地は群馬県太田市の金山窯が有力視されている。

 古墳時代はまだ須恵器を作る窯が少なく、庶民は須恵器をまねた土師器を使用していた。須恵器の所有は豪族としてのステータスを示すが、同事業団は「これだけ立派な壺は、ある程度の力がないと持てない。なぜ集落の家にあったのか」と首をひねる。

■お蔵入り?

 壺部分と台部分が別々の住居跡から出土している点も興味深い。自然災害で本来の場所から移動した可能性について、同事業団は「20メートルほど離れた場所にあり、川の氾濫などで流されてきたとは考えにくい」と否定。容器としての転用も「壺部分は使えるかもしれないが、台部分は難しい」という。

 日用品ではない根拠は、須恵器の持っていた価値からも説明できる。現代で例えるなら「舶来の高級品」で、庶民の手には渡らない代物。にもかかわらず、一帯の住居跡からは高杯(たかつき)や背の低い脚付短頚(たんけい)壺、丸底壺といった数点の須恵器も見つかっている。

 そこで浮上するのが、副葬品の調達を担う人物が住んでいたという推測。「豪族に納めるはずの副葬品が何らかの原因で破損したので、隠しておいたのではないか」と同事業団。ほかの須恵器は脚付長頚壺に比べてやや見劣りし、「お蔵入り」になったとの見方も。ただ、これも確固とした裏付けはない。

■永明寺古墳

 豪族の墓に捧げられるべき貴重な壺が、なぜ庶民の家にあったのか。謎を解く鍵として注目されているのが、屋敷裏遺跡から西に約1キロ離れた村君古墳群にある「永明寺(ようめいじ)古墳」だ。

 市内最大、全長78メートルの前方後円墳からは鎧(よろい)の一部である鉄製の「挂甲小札(けいこうこざね)」などが見つかっており、有力な豪族がいた可能性が高い。古墳時代中期の築造と脚付長頚壺とは年代が前後するものの、同事業団は「何世代にもわたって古墳が使われる中で、壺が関わっているのではないか」とみて、屋敷裏遺跡出土品の整理作業を進める。
埼玉新聞 10月4日
posted by やまちゃん at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 未配信ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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