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2012年07月22日

北端・段差、南端・石垣を発見 大津市の膳所城遺跡

 県文化財保護協会は、大津市の膳所城遺跡で、北の丸の南北端を示す段差や石垣などが見つかった、と発表した。北の丸の発掘調査は初めて。規模や築城後に拡張工事が行われたことが推測できるという。
 膳所城は1601年に築城。1870年の廃城後に解体され、湖岸部の埋め立ても進んだため、公園となった本丸跡以外の遺構はほとんど地表に残っていない。

 調査は北の丸の一部にあたる約270平方メートルで行われた。北の調査区で、北の丸北端部とみられる高さ1・3〜1・5メートルの段差を確認。調査地の南に接する公園には、南端部とみられる石垣が現存しており、南北方向は約60メートルの規模だったことが分かった。

 一方、南の調査区では上下2段に重なる石垣が見つかった。ある時期には、この石垣が北の丸の南端だったとみられる。現存する石垣より約17メートル北にあり、北の丸が南へ拡張されたことを示すという。拡張時期は不明だが、膳所城は寛文2(1662)年の地震で被害を受けたことが分かっており、関連を調査する。また建物の周囲をめぐる雨落ち溝なども見つかり、同協会は「北の丸内部の建物配置や区割りを探る手がかりを得た」としている。

 同協会は22日、安土城考古博物館(近江八幡市)で開く報告会「あの遺跡は今!15」の中で、今回の調査報告や出土遺物の展示を行う。同博物館や県埋蔵文化財センター(大津市)で写真パネルの展示も行う。いずれも無料。京都新聞 7月21日








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2012年07月10日

平安後期の腰刀も 奈良市教委 西大寺旧境内で発見

 奈良市教委は9日、同市西大寺南町の西大寺旧境内で発見された平安時代後期(12世紀後半)とみられる腰刀2本を公開した。市教委によると、国内で見つかった同時期の腰刀としては最大という。

 腰刀は平安時代後期、成人男性が生活や護身用に持っていた刀。今回見つかったのは、全長49センチと27・2センチの2本。中国製の磁器とともに埋葬されていた。

 埋葬されていた人物は特定されていないが、腰刀の柄(つか)や鞘(さや)の装飾の特徴が、三重県の雲出島貫(くもづしまぬき)遺跡で出土した腰刀と類似。同遺跡は、平氏一族の伊勢平氏の関連人物の墓とされている。

 市教委は、今回見つかった腰刀の所有者について「伊勢平氏に関わりのある身分の高い人物ではないか」とみている。

 腰刀は、あわせて出土した磁器や轡(くつわ)などとともに市埋蔵文化財調査センターで公開している。産経新聞 7月10日
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女子高敷地内に弥生遺跡

 兵庫県姫路市埋蔵文化財センターは、兵庫県播磨高校(姫路市)の敷地から、4棟以上の竪穴住居跡を含む、弥生時代の集落跡が見つかったと発表した。同センターは「遺跡の状態から、周辺にはかなりの数の住居が広がっていた可能性がある」と話している。

 JR姫路駅の南、約300メートルにあるこの学校の周辺は、「豊沢遺跡」として知られていたが、最近まで本格的な調査が行われず、実態はわからないままだった。

 2010年、学校の西隣で行われた初の本格調査では、大量の土器や石器が見つかった。今回、学校が留学生の宿舎建設工事に着手したのに合わせ調査したところ、初めて住居の跡が確認された。また、家を何度も建て替えた痕跡や、稲穂を刈るための石包丁のほか、焼けた土や炭も多く見つかった。 時事通信 7月10日
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2012年06月30日

日本書紀登場の幻の人工池「磐余池」 奈良の遺跡で池底跡見つかる

 日本書紀などに登場しながら所在地が分からなかった人工池「磐余池(いわれいけ)」の推定地、奈良県橿原市東池尻町の遺跡から池底跡が見つかり、市教委が29日発表した。池が鎌倉時代の13世紀初めごろ埋め立てられたことも判明。市教委は「国内最古の人工池の変遷を知る貴重な成果」としている。

 昨年の調査で堤跡の一部と大型建物跡が出土。日本書紀に聖徳太子の父、用明天皇(在位585〜587年)が磐余池のほとりで宮を営んだとの記述があり、建物跡はその関連施設の可能性が指摘されている。

 今回、池があったとされる堤の南側で池底跡とみられる堆積層を約80メートルに渡って確認。土の成分や出土した土器片などから、13世紀初めには埋められ水田になっていたことが判明した。

 磐余池は、万葉集に収められた大津皇子(おおつのみこ=663〜686年)の辞世の歌や、日本書紀に登場。清少納言も枕草子で代表的な池として紹介している。

 磐余池をめぐっては、同県桜井市にあったとする研究者もおり、論争の決着はついていない。木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「天香具山(あまのかぐやま)に近い特別な場所で当初は用水と観賞を兼ねた池として整備され、宮が移された後は農地に転用されたのではないか」と話している。

 現地は埋め戻されており、説明会はない。

 磐余池 日本書紀によると、5世紀前半に履中(りちゅう)天皇が造り、6世紀後半に用明天皇が近くで宮を営んだ。万葉集には謀反の罪で処刑された大津皇子の辞世の歌「ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨(かも)を 今日のみ見てや 雲隠(くもがく)りなむ」が残されている。産経新聞 6月30日




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宇陀松山城跡で鯱瓦出土 市教委「当時の山城知る貴重な資料」 奈良

 江戸時代初期の珍しいゾウの形をした瓦が見つかった宇陀市の国史跡「宇陀松山城跡」で、16世紀末〜17世紀初めに制作されたとみられる鯱(しゃちほこ)瓦が出土し、同市大宇陀拾生の松山地区まちづくりセンター「千軒舎」で展示されている。7月5日まで。

 市教委によると、破片などを含めて4個分の鯱瓦が見つかった。このうち1個は胴体部分を除いた頭と尾びれがそろっており、今回復元して公開した。推定で高さ約1メートル、幅0・25メートル。

 市教委によると、鯱瓦は、豊臣家支配下で1592〜1600年に城主を務めた多賀秀種の頃、改修された天守閣を飾るために制作されたとみられる。

 鯱瓦が見つかった近くでは、多賀家の家紋が装飾された瓦も出土した。

 市教委は「近世の鯱瓦がほぼ完全な状態で見つかるのは珍しく、当時の山城の様子を知る貴重な資料になる」としている。産経新聞 6月29日
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世界最古の陶器片発見=2万年前、中国の洞窟遺跡で

 中国南東部、江西省にある洞窟遺跡「仙人洞」で、2万年前から1万9000年前の陶器の破片を発見したと、北京大や米ハーバード大などの国際研究チームが29日付の米科学誌サイエンスに発表した。西方の湖南省の洞窟遺跡では1万8000〜1万7000年前の陶器片が見つかったと2009年に発表されていたが、これより古く、世界最古という。

 仙人洞の陶器片には焼け焦げた跡がある物が多く、食べ物の煮炊きに使われたとみられる。研究チームによると、約2万年前は最終氷期のピークで、狩猟・採集生活をしていた人類は堅い植物を煮て消化しやすくしたり、肉を食べた後の動物の骨や皮から骨髄や油脂を煮出したりして生き延びた可能性がある。
時事通信 6月29日
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2012年06月28日

旧二条城、信長の堀跡見つかる 内堀の西端付近

 民間の発掘団体「古代文化調査会」(神戸市)は28日、戦国時代に織田信長が造営した「旧二条城」の堀跡が京都市上京区下立売通室町西入ルの発掘調査で見つかった、と発表した。城の内堀の西端にあたるとみられ「城内部の構造を知る手掛かり」としている。

 集合住宅の建設に伴い、5月から260平方メートルを調査していた。見つかったのは、南北方向に8メートル延びる堀跡で、深さは当時の地表面から2・2〜2・4メートルで、幅は4・5〜6・5メートルあった。

 旧二条城は、信長が1569(永禄12)年に室町幕府の15代将軍・足利義昭のために造り、不仲になった義昭を追放した後、76(天正4)年に破壊した。1970年代の地下鉄烏丸線工事に伴う発掘で、外堀と内堀の二重構造であることが判明し、それぞれ南北の境界も分かっている。

 今回見つかった位置は内堀の西端付近にあたり、内堀の範囲は東西200メートル、南北160メートルになるとみられる。古代文化調査会は「内堀の東西の幅が推定できる貴重な成果だ」としている。30日午前10時〜正午に現地説明会(雨天決行)を行う。京都新聞 6月28日
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2012年06月27日

<韓国>新石器時代中期の耕作遺構を発見…国立文化財研発表

韓国の国立文化財研究所は26日、江原道高城郡(カンウォンドコソングン)(韓国北東部)の文巌里(ムンアンリ)遺跡で、新石器時代中期の耕作遺構が見つかったと発表した。一緒に出土した土器片などから紀元前3600〜3000年ごろの畑作の跡とみられるという。同研究所は「東アジアで最初に見つかった新石器時代の畑の遺跡だ」としている。

 10年から始まった発掘調査で分かった。畑の跡は2層に分かれ、上層(1260平方メートル)は畝の幅が一定でないなど古式的な特徴があった。

 下層(1000平方メートル)は形のまちまちな畑が集まり、複合的な栽培が行われていた可能性がある。下層から土器片や住居跡などが見つかり、時代の推定につながった。

 これまで新石器時代の遺跡から農耕関連の石器や炭化した穀物が見つかり、畑の存在が推定されていたが、実際に遺構が確認されたのは初めてだという。毎日新聞 6月27日
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2012年06月26日

<元寇船>全長27メートル 海底遺跡再調査

 鎌倉時代の元寇(げんこう)船とみられる沈没船が発見された長崎県松浦市鷹島沖の「鷹島神崎(こうざき)遺跡」を再調査している池田栄史(よしふみ)・琉球大教授(考古学)の研究チームは26日、船底の背骨に当たる竜骨(キール)の長さが13.5メートルであると発表した。当初の調査より約1.5メートル長く、船体の全長は約27メートルとみられるという。

 再調査は、18日からで、キールを発見した東側約30平方メートルを発掘。船体の規模の解明などを目指している。池田教授によると、キールは劣化が激しく、部材は発見できなかった。はがれた漆喰(しっくい)の分布範囲から推定したという。

 同遺跡は今年3月、海底遺跡としては初めて国の史跡に指定された。次回の調査は10月を予定している。

 池田教授は「船体の規模の解明のため、キールの西側などの調査を検討したい」と話した。毎日新聞 6月26日





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2012年06月24日

酒、酒、酒…土器にびっしり、本物の代わり?

 器の底が「酒」の文字で埋め尽くされた9世紀後半(平安時代)の土師器(はじき)が、千葉県流山市の前平井遺跡で出土した。

 発掘した県教育振興財団文化財センターは「文字を実際の酒の代わりにし、祭祀(さいし)に用いた可能性がある」と推測している。

 この器は直径約12センチ、底の径6センチ、深さ3・7センチの坏(つき)。内側と外側に20字以上の文字が墨書されており、底には「酒」の字が同じ向きで6字以上並んでいた。

 外側には、道教の呪符に用いられる中国・唐代の則天文字に似た同じ文字も二つ書かれていた。

 「酒」の文字が書かれた墨書土器は少なくないが、いずれも酒を入れる器であることを示したもので、今回のように多く書かれた例はないという。読売新聞 6月24日
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2012年06月22日

古代ローマの重層ガラス玉か=国内初、古墳で出土―京都

 京都府長岡京市にある5世紀前半の宇津久志古墳で1988年に出土した「重層ガラス玉」が、古代ローマ帝国で製造された可能性が極めて高いことが分かったと、奈良文化財研究所が21日発表した。古代ローマ製とみられる重層ガラス玉が国内で見つかったのは初めて。重層ガラス玉では国内最古という。

 重層ガラス玉は、ガラスの間に金箔(きんぱく)などの金属片を挟み込み、装飾効果を高めたガラス製品。高度な技法が用いられ、古代ローマの領土だったエジプトやシリアで主に作られた。

 宇津久志古墳から出土した重層ガラス玉は、直径と長さが各5ミリで真ん中に直径1.5ミリの穴が開いた物が1個と、1ミリ程度の破片2個。

 同研究所は昨年、文化財の材質調査で広く利用される蛍光X線分析を使って調査。金属片は金箔で、ガラスは主原料や材料の組成などから古代ローマ製と同じと判明した。紀元前1世紀から4世紀の間に作られたとみられる。

 同研究所によると、重層ガラス玉は日本では5世紀半ば以降の約80遺跡で200点ほど確認されているが、科学的分析が公表されているのは5遺跡10点で、いずれもアジアなどで作られた物という。 時事通信 6月21日





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2012年06月20日

脇本遺跡:初の弥生前期末の建物跡 県内最大

 県立橿原考古学研究所は19日、桜井市の脇本遺跡で、初めて弥生時代前期末の竪穴建物の遺構が見つかったと発表した。直径約7・5メートルの楕円(だえん)形で、建物中央に2本の柱と炉があり、周囲に8本の柱穴がある。発掘された同時代の建物としては県内最大となる。

 今回の発掘は4、5月に140平方メートルの範囲で行われた。見つかった竪穴建物は、韓国西南部の松菊里遺跡で発見された「松菊里型住居」に似ている。松菊里型住居は、日本には縄文時代晩期末から弥生時代中期に伝わったとされる。福岡県で多く発掘されているが、県内では御所市鴨都波遺跡などに続く4例目。

 出土した土器から弥生時代前期末と判断した。床面からは、石器の原料となるサヌカイトの破片が出土しており、石器づくりをしていたと考えられる。脇本遺跡では、昨年度の調査で3〜6世紀にかけて重複する19棟の建物跡が見つかっており、橿考研は「弥生時代前期末までさかのぼって、集落の様子を考えていく必要がある」としている。毎日新聞 6月20日







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2012年06月19日

<脇本遺跡>大伯皇女の斎宮か 7世紀後半の大型建物跡発見

 奈良県立橿原考古学研究所は19日、同県桜井市の脇本遺跡で、7世紀後半の大型建物跡を発見したと発表した。昨年5〜8月の発掘で柱跡が見つかり、柵か建物跡か不明だったが、新たな柱跡を見つけ、建物跡と断定した。橿考研は「天武天皇の娘、大伯皇女(おおくのひめみこ)が心身を清めたとする泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)の一部である可能性が考えられる」としている。
 日本書紀には、大伯皇女が673年に泊瀬斎宮で身を清め、翌年に伊勢神宮に斎王として向かったとあり、脇本遺跡が斎宮の有力候補地とされる。

 発掘は昨年10月〜今年2月、472平方メートルで実施。発掘済みの14本の柱跡につながる4本の柱跡を発見し、東西18.8メートル、南北8メートルの掘っ立て柱建物跡と分かった。過去に発掘された7世紀後半の柱列と建物の東西の柱筋が一致するため、同年代と判断した。

 前回調査と合わせ、3〜6世紀にわたる19棟の竪穴建物跡も発見。竪穴建物による集落が継続していたことも明らかとなった。現地は埋め戻されており、出土遺物は7〜9月に橿考研付属博物館で展示する予定。毎日新聞 6月19日







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<鷹島神崎遺跡>沈没船の船首などの探索開始

 長崎県松浦市と琉球大の池田栄史(よしふみ)教授(考古学)の研究チームは18日、同市鷹島沖の「鷹島神崎(こうざき)遺跡」で鎌倉時代の元寇の際に沈没したとみられる船体の再調査を始めた。これまで沈没船の船底部分が発見されているが、船首と船尾が不明。28日までの11日間、船全体の規模を明らかにすることを目指す。

 池田教授の研究チームは昨年10月、鷹島・米ノ内鼻の沖合約200メートル、水深20〜25メートルの海底で沈没船の一部を発見し、船体の基底となる長さ約12メートルの竜骨(キール)と両舷の外板を確認した。周囲には、中国・南宋時代の陶磁器片なども散乱していた。同遺跡は今年3月、海底遺跡としては初めて、国の史跡に指定された。

 再調査は潜水で船の東側(約50平方メートル)を発掘する。池田教授は「キールの全長を確認できれば、船全体の構造が分かってくるかもしれない」と話した。毎日新聞 6月19日







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2012年06月18日

元寇船、どんな大きさだったのか…海底調査開始

 13世紀の元寇(げんこう)で海底に沈んだ元軍の船が見つかった長崎県松浦市の「鷹島神崎(こうざき)遺跡」で18日、琉球大や松浦市が今年度の調査を始めた。

 沈没船は琉球大の調査チームが昨秋、離島・鷹島の南で発見。周辺は水中遺跡としては初の国史跡に指定された。船底の背骨にあたるキールの一部や多数の船底・船腹の板材が確認されており、18〜28日の調査ではキール付近を25平方メートルほど試掘し、船の大きさや構造を調べる。10月にも周辺の別の場所で調査を行う予定。読売新聞 6月18日
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